こんにちは。
人生で出会うものにはご縁がある、逆をいうとご縁のないものには出会えないというのが私のひそかな信条です。
今回は、私が3●年生きてきて実感している言葉たちをご紹介します。
これらを知っていると、人生がそこそこ生きやすくなる……かもしれません。
「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
もともとは「塞翁が馬」のみで使われていたようですね。
意味はこちら↓。
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
(『故事ことわざ辞典』より)
現時点で3●年の、私の人生。
浪人したり出身地から遠く離れた大学に進んだり、うつ病になったり結婚したり……と、いろいろありました。
では、何が良い出来事で何が悪い出来事だったのか?
実はいまだに判断できません。
例えばうつ病で苦しんできたことは、客観的に見たら良くないことかもしれない。
でも、その間もがいてあがいて、結果的に今の私がいることを思えば、決して悪いことと言い切れないのです。
もちろん、未来の自分は現在とはまた違った考え方をしているかもしれないので、人生の出来事に対する判断なんてそのときどきで変わります。
人間と同じで、常に同じじゃない。
でもだからこそ、人生を生きてみる価値があるんじゃないかなとも思うのです。
「捨てる神あれば拾う神あり」
これは次項の「ご縁」とも関係してくる言葉なのですが、主に仕事で感じてきたことです。
意味はこちら↓。
世の中はさまざまで、見捨てる人も助けてくれる人もいるものだ。人に見限られたからといって、くよくよすることはないということ。
(『コトバンク』より)
私は以前、ある非営利組織で働いていました。
しかしそこをやめざるを得なくなり……
「どうしようかなー」と思っていたときに、何の気なしに登録していたクラウドソーシングで仕事を探して応募してみたところ、なんと採用してくださる方が現れました。
その方は私にとっては神様だったと、今でもこっそり感謝しています。
クラウドソーシングで仕事を請けおっていると、当然のことながら雇用はなかなか安定しません。
さまざまな案件に応募していると、「まさに『捨てる神あれば拾う神あり』だなあ……」と実感します。
応募を断られたり、仕事を切られたり、でもそこで腐りすぎることなく別の案件にチャレンジすると、拾ってくださる方もいる。
だからこそ面白いのかもしれません。
……あっ、そういえばこの言葉、恋愛でも感じてきたかも!(^^;)
私は20代の頃全くモテず、告白されたことは皆無。
一念発起して自ら告白しても、全てフラれていました。
しかし現在の夫であるトーノ君と出会ったとき、「この人とこのまま何となく終わるのは嫌だ、友達でもいいから関わっていたい。ダメでもともと!」と奮い立ち告白したところ、有り難くもオーケーをいただき。
なんと結婚にまでつながった。
「トーノ君は私を拾ってくれた神様だなあ……」と、今に至るまでずっとしみじみ感謝しています。
「ご縁」
さて、最後の言葉が「ご縁」。
これは案外、人生の何にでも応用できる言葉です。
- 「○○を買えなかった……」→ご縁がなかった
- 「ライブに落選した……」→ご縁がなかった
- 「この人と知り合うことができた」→ご縁があった
- 「こんな趣味を見つけた」→ご縁があった
こんな感じで、「人生ってご縁で成り立っているんだなあ」と日々実感しています。
それこそ、私のうつ病だって何かしらのご縁があったのかもしれません。
この「ご縁」という言葉を実感していると、不思議なほど執着がなくなってきます。
周りに期待しなくなる。
例えば私の実感として「他人は変えられない」というものがあるのですが、執着がなくなると他人を変えようと思わなくなってきます。
すると生きるのが楽になってくる。
だからといって、「自分一人の力で生きている」とは全く思いません。
「ご縁」のある人や物に支えられています。
ありがたいことです( ´ ω ` )
まとめ。人生はけっこう面白い。
高校生の頃、「ハタチ超えたらおしまいだよね~」と平気で豪語していました。
そんな私もいつの間にか30代を超えていた。
でも、高校生の頃より今の方が、楽に呼吸ができている感じがします。
つまり生きやすくなった。
年を取ることは恐怖だと考えている方もいらっしゃるかもしれません。
確かに身体機能は衰えてくるのですが、人生の面白さや奥深さは増すかもしれないなと今の私は感じています。
生きていればいろいろありますが、人生ってなかなか面白いですよ。
この記事が何かの参考になれば幸いです(^^)
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