生きることとセックスと。大きなオーガズム=ある種の悟りを開くことではないか?

考察

こんにちは。

先日、代々木忠(ヨヨチュー)さんがこのようなブログ記事を公開されました。

週刊代々木忠 : 第418回 セックスと悟り

この記事を読んだときに、「ヨヨチューさんもやはり、セックスと悟りの関係について考えていらっしゃったか!」と興奮し、同時に安堵しました。
それは、私の考え方が間違っていなかったというか、少なくとも同じように考えている方がいらっしゃるのだと知ることができたから。

上記のヨヨチューさんの記事には続きがあるそう。
それを楽しみに待ちながら、今回は、私が現時点で考えているオーガズムと悟りの関係について書いていこうと思います。

今回書くことは、あくまで私個人が考えていることです。
特定の個人や団体、考え方などを批判するものではないことを先に申し述べておきます。

性的な事柄が避けられがちな現状。

突然ですが、私は自分がスケベだと思っています。
スケベなことが好きだし、性的なことに昔から興味を抱いてきました。

でも、どうやら世間では、性的なことはあまり触れてはいけないものらしい。

性的な事柄は人が生きる上でかなり重要だと思うのだけれど、性(セックス)について触れた書籍は不思議なほど少ないと感じています。
夫婦について書かれた本でさえ、セックスについては触れていないことがけっこう多いなあと。
このことについて、特に結婚してからずっと疑問に思ってきました。

そうしたらヨヨチューさんも上記のブログ記事でこう書かれていました。

人生が変わるほどの気づきをセックスがもたらす――そんな場面を幾度も目の当たりにしてきたから、生き方の真理を探求する宗教が、なぜ人間の根幹である「性」を避けて通るのかと僕は納得できないままきた。

そう、宗教的な本でも(宗教的な本だからこそ?)、性的な話題はほぼ一切出てこないのです。
これについては後述します。

性(セックス)を真正面から語るヨヨチューさん。

性(セックス)の精神的な面について真正面から書かれている本は、知っている限りヨヨチューさんの本ぐらいです(技術的な面について書かれた本はたくさんあります)。

以下、私が読んだことのあるヨヨチューさんの本です。
いずれもおすすめ。

少し話はずれますが、ジャンルを問わずさまざまな本を読みながら、「この著者はいいセックスをしてきたのかな?」と推測することがあります。
けっこう興味深いですよ。

おそらくオーガズムによって私が得たもの。

ヨヨチューさんは著書の中で、大きなオーガズムを経験すると人生が変わるとおっしゃっています。
自分自身や周りを俯瞰(ふかん)する見方を得られるのだと。

これ、実は私も経験しています。
「この瞬間から変わった!」という記憶はないのですが、結婚してある程度たった時点でふと気づくと、以前の自分とは物事に対する見方ががらりと変わっていました。
物事を俯瞰することができるようになっていたのです。

もしこれがセックスのオーガズムから得られたものだと仮定したら、原因ははっきりしています。
それは、夫のトーノ君とのセックスで、自分を明け渡したこと。

この記事で、こんなことを書きました。

彼のことが大好きで誰よりも愛しているけれど、なぜか不安が拭えなかった。
それは、今思えば、「裏切られたらどうしよう」という不安だったのですね。

この不安は大きくて、結婚した後も続いていました。
「素の自分を見せたら嫌われる」という恐怖です。

でもそれは今はありません。

あるときセックス中に、自分が醜くないか、トーノ君にとって私は見苦しくないかと彼の目を見ながら尋ねました。
とても不安だった。
彼は実は私のことを醜いと思っているのではないかと。

そうしたら彼は、「そんなことない!」と強く抱きしめてくれました。

彼の愛情が伝わってきて、熱い涙があふれて深く安心したことを覚えています。

自分がこのときにオーガズムを経験したかどうかは、正直よく分からない。
ただ、この体験によって私は、自分の最後の殻を壊せたのだと思っています。
なぜならその後、トーノ君に対する不安が全くなくなったため。
そしていつの間にか、物事に対する見方が変わっていました。

だからといって、トーノ君の愛情を疑っていたわけではないのですよね……
彼が私のことを誠実に深く愛してくれているという実感はありました。

心の奥底にある不安(嫌われる不安や醜形恐怖)が強すぎて、なかなか拭いきれなかったということなのかなと今では思っています。

オーガズムである種の悟りを開く。

ヨヨチューさんご自身の経験や著書、そして私自身の経験もあって、「(大きな)オーガズムを経験する=ある種の悟りを開くことではないか?」と考えるようになりました。

悟りは一つに限られなくて、オーガズムで得られる悟りは悟りの中の一つだと思います。
でも、「人生での大切なことをつかむ」という点ではそれは悟りなのだと思う。

なぜそう思うかにはもう少し理由があって。

ヨヨチューさんの著書において、セックスでオーガズムを経験した女性が、オーガズムの瞬間を「白い世界に漂う感じ」「ふわっとした温かい感覚」と語っています。
そして彼女たちは、自分自身や周りを俯瞰することによって、それまでの自分の考え方の偏りを知ります。

実はこの「俯瞰」と同じような考え方が、こちらの本でも述べられていて。

簡単にご紹介すると、この本はマインドフルネスと禅との関わりについて、両者を統合することによってマインドフルネスを得やすいのではないかという観点で書かれたものです。

この中で、「マインドフルネスであることは、彼岸の私が河岸の私を見つめること。私の二重構造=彼岸の私という存在に気づくこと」という旨のことが語られており、それはオーガズムで得られる「俯瞰」と酷似している。

でも、この本の中では性的な話題は一切出てきません。
私はそれが不思議で仕方がなかった。
「セックスのオーガズムでもマインドフルネスを得られるのに?」と。

むしろ、人によっては、呼吸法によるマインドフルネスより、オーガズムによる悟りの方が実感しやすいのではないかと思っています。

とはいえ、宗教について批判したいわけでも文句を言いたいわけでもなくて。
個人的に、オーガズムによる悟りもあるのではないかと感じているだけです。

最後に。一度悟ってもそれが全てではない。

今回は、オーガズムと悟りの関係について私個人が思うことを書いてきました。

ただ、一度オーガズムで悟りを得られたとしても、それでその人の人生がずっと幸せであるとは限りません。
オーガズムで得られる悟りは悟りの一種であって、悟りは生きていれば何回でも得られるものだから。

「何回でも得られる悟り」について、詳しくはこちらの本を読んでいただければと思います。

だから、オーガズムを得た人がずっと偉いというわけでもない。
一度この感覚を得られると、生きていく上でとても楽になりますが、それが全てでもない。
悟りを得る方法の一つとして、セックス(のオーガズム)があるのではないかなと思うだけです。

「セックスでオーガズムを経験したことがない」「そもそもセックスをしない」という方もいらっしゃるだろうし、オーガズムが全てではないと思います。

興味を持ってくださった方は、今回ご紹介した本を読んでいただけると、より理解が深まるかもしれません。

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