スポンサーリンク

『しないことリスト』ならびに『「やりがいのある仕事」という幻想』。似ているようで異なる2冊。

最近、『しないことリスト』(pha・著)という本と、『「やりがいのある仕事」という幻想』(森博嗣・著)という2冊の本を同時並行的に読んでいました。

けっこう似通っているのだけれど、実は異なる雰囲気を持ったこの2冊について書いてみます。

スポンサーリンク

社会の常識を疑ってみる2冊。

これらの本はどちらも、社会の常識を疑ってみるという観点では似通っています。

『しないことリスト』では生きる上でのさまざまな物事について、『「やりがいのある仕事」という幻想』では主に仕事について、「常識に固執していないか?」という視点から語られています。

私がこの2冊に共感するのは、私自身、「普通に」会社に勤めて仕事をすることが不可能だから。

非定型うつ病を差し引いても、どうやら毎朝決まった時間に起きて、毎日通勤して働くことが向いていないらしいということが分かってきました。
人にはいろいろ向き不向きがありますが、私には「決まった日時にどこかに赴いて仕事をする」という作業自体が向いていない。

phaさんは特に、そのことについてはっきりと「できない人はできない」という旨述べられています。

ただこの2冊、当然ながら違いもあります。

スポンサーリンク

仕事ができない=「だめ人間」なのか?

phaさんは、会社勤めに向いていないご自身のことを「だめ人間」と書いています。

森博嗣さんは、「仕事ができてもできなくてもどちらでもたいしたことではない」という旨を書いています。

私は個人的に、森博嗣さんの主張に肩入れしてしまいますね……
というのも、自分のことを「だめ人間だ」と思うと、精神的にまいってしまって、ますますだめになってしまうので(生きる気力がなくなって生活が一時的に破綻する)。
ただ単に弱いだけなのかもしれませんが、それでも「私はだめ人間です」とは言えない。

「人生における仕事の重要性というのは、お金を稼ぐ以外に何かあるのだろうか?」と感じることが最近わりと多くて、そのこともあり森博嗣さんの主張に賛同しています。

おそらく、私自身が就活した経験を一度も持たず、現在はほぼ専業主婦(お小遣い程度はクラウドソーシングなどで稼いでいます)として生きているため、会社勤めの方の立場を理解しにくいのだろうと思います。
夫のトーノ君や実家の父親を見ていると、「会社勤めはものすごく大変そうだなあ」とは感じますが。

主婦としての仕事=家事は、トーノ君と私とで生活を回していくとき、私が家のことを主に引き受けているというスタンスです。
(スタンスというか、普段は意識すらしない)
夫婦ふたりで暮らしているので、お互いに向いていること(トーノ君は外での仕事、私は家の中のこと)を分担しているだけ。

私にとっての仕事は、今のところ家事やクラウドソーシングの仕事ですが、それが人生で一番楽しいことではないし、特別な生きがいでもありません。
生きがいを何かに感じるとしたら、トーノ君とともに、つましいながらも楽しく生きていることだと思います。

「生きがいとは何か?」「何のために生きているのか?」といった疑問を最近ではあまり考えなくなりました。
どうしてか分かりませんが、とにかく生きているから生きているのです。
なぜか生かされていると言いますか。

スポンサーリンク

自分に合ったやり方で生きる。

私がこれらの本を読んで思うのは、「人には違いがあって、人生もそれぞれ異なるのだから、自分に合ったやり方で生きていけばいいじゃない」ということ。

以下の記事でも書きましたが、他人の目を気にしすぎながら生きることほど窮屈なことはありません。

他者と幸せを比較していませんか?絶対評価を基準にすれば生きやすくなります。
こんにちは(^^)/ 先日、このブログのレンタルサーバーをロリポップからMixHostに変えました。 情報があまりなくて、移転作業が...

ただ、『しないことリスト』に書かれていたことで、「人生において、自分の頑張りのみで成功したことは案外少ない」という主張は、確かにそうだろうなと感じます。
人生は不公平です。
生まれる環境は選べないし、さまざまな運もつきまとう。

ですので、ある程度は環境に感謝しながら、ぼちぼちで生きていけばいいのではないでしょうか。

私も、ある程度の運に恵まれたことを感謝しながら、ぼちぼち生きていこうと思います。
きっとそれが一番楽しい。

ではでは(^^)/

0

コメント

タイトルとURLをコピーしました