『マルチエイジ・レボリューション』代々木忠さんが見た虐待の重大さ、そして愛による救済。

こんにちは。

だいぶ前に、代々木忠(ヨヨチュー)さんによる書籍『マルチエイジ・レボリューション』を読了しました。

これが実にすごい本で。
この本についてはぜひ書きたいと願いつつ、なかなか重い腰を上げられずにいました。

現在は古本でしか入手できないと思います。
ぜひ復刊してほしい。

ヨヨチューさんと多重人格の女性との交流。

この『マルチエイジ・レボリューション』では、AV監督でいらっしゃるヨヨチューさんが見た、多重人格の女性・泉みゆきさんの生き様が描かれています。
そもそも彼女はなぜ多重人格になったのか?
その謎をひもとく構成にもなっており、読んでいて息つく暇がありません。
正直なところ、下手な推理小説を読むより面白かった。

ヨヨチューさんはこの本の中で、泉さんと関わることによって知った虐待の重大さ、そして愛のぬくもりにより人が救われていく様を克明につづっています。
読みながら何度も、あふれ出る涙を止めることができませんでした。

この本を読むと、傷つきながらも生きていかなければならないつらさや悲しみを強く感じます。
しかし同時に、「それでも生きていける、生きていっていいのだ」という救いの光も見えます。
読後は意外なことに、大きな温かさに包まれる本でした。

自らを否定されることで生まれる、愛への不安。

『マルチエイジ・レボリューション』を読んでいて、どうしても忘れられない印象的な箇所が2箇所あります。

一つは、泉さんの多重人格の一人である「かおる」による手記から。
愛と不安について非常に深い考察だと感じたので、少し長いですが以下引用します。

付き合い始めの頃は、ただ純粋に一緒にいたいという思いだけだった。でも今は一緒にいても常に不安が付きまとう。その不安がどこから来るものなのか分からないが、「楽しい」と感じているすぐ裏側で冷めている。(中略)認めたくはないが、恐いのだろう。私には「無償の愛」なんていう愛し方はできない。だから自分が愛した人には愛情を求めてしまう。そして自分の愛が大きければ大きいほど、その愛を拒絶された時の恐怖が蘇ってしまう。

(『マルチエイジ・レボリューション』P.251より、中略は当ブログの筆者による(以下同様))

では、なぜ、拒絶されるのが怖いのか。
それについてはこう書かれています。

「受け入れられない」ことと「拒絶される」ことは違うと思う。拒絶や否定は人間としての自信を奪う。(中略)「自分」を見失ってしまうのだ。「自分」がないから自分自身に頼ることができない。

(『マルチエイジ・レボリューション』P.251より)

この箇所を読んで、私はこう思いました。
「人間は否定され続けると自分の軸を持てなくなってしまう。
そうすると自分を信じて自分の力で立つことが難しくなる。
愛して裏切られるというのは自分を否定されるのと同じこと。
だから好きな人と一緒にいても不安がつきまとう」
と。

実はこれ、私自身が結婚する前、今の夫のトーノ君とデートしていたときに感じていた不安でもありました。
彼のことが大好きで誰よりも愛しているけれど、なぜか不安が拭えなかった。
それは、今思えば、「裏切られたらどうしよう」という不安だったのですね。

でも今ではそんな不安はありません。
なぜなら、彼と信頼関係をじっくり築き上げることができたから。
彼はとても大きな愛情で私を包み込んで、私の中にある不安を一つ一つ消してくれました。

「自分をまるごと受け止めてくれる」存在が、どれほど人間に生きる力を与えてくれるか。
私はトーノ君と出会えて本当に良かったと思います。
彼がいなければ、今の幸せを感じている私はいないと断言できます。
現在の私は、トーノ君と毎日話してハグしてお互いのぬくもりを確かめ合うことで、「自分がこのままで生きていてもいいんだ」と確認できています。

話がずれますが、ハグってとても素晴らしいもの。
相手の体温や鼓動を感じられて、すごく安心します。

私自身は虐待を受けたことがないはずなのですが、親からの抑圧はけっこう強かった記憶があります。
抑圧が強いというか、してはいけないことが多い家庭だったのですね。
今思えば、親の敷いたレールに乗っかることで「いい子」を演じていたところがあります。
そういう方は意外と多いのではないかなと推測しています。

現在の私がトーノ君と一緒にいて幸せで、自分自身をまるごと受け止められているという事実。
実はこれには、セックスおよびオーガズムが大きな意味を持っています。

ただ、そのことについて書くと非常に長くなりそうなので今回は割愛して、別の記事にまとめようと思っています。

2019年7月24日追記。

上記と関連して、こんな記事を書きました。

生きることとセックスと。大きなオーガズム=ある種の悟りを開くことではないか?
こんにちは。 先日、代々木忠(ヨヨチュー)さんがこのようなブログ記事を公開されました。 この記事を読んだときに、「ヨヨチ...

よろしければご覧ください。

虐待につながらない親と子の関係とは?

もう一つ、印象に残った箇所はこちら↓。

親子の関係に当てはめてみれば、親がことさら「ああしろ」「こうしろ」と指図をしたり、「なにかをしてやろう」と思わなくても、子供が傷つき頼ってきたとき、親自身が満ち足りていればいいというわけである。満ち足りたエネルギーは子供にとって「快」だから、子の本能は癒され、自ら解決の方法を創造してゆくだろう。(中略)
だからといって、子供の前でことさらホカホカを演じる必要もないはずである。苦しいときには「苦しいよぉ」と感情表現をする。(中略)
子供の前で自分の苦しさを見せてはならないと思うと、溜め込んだ苦しさをやがて、「あたしゃ、こんなに我慢しているんだ。あんたにいやな顔一つ見せたことがないでしょ」などと、ぶつけてしまうはめになる。

(『マルチエイジ・レボリューション』P.311より)

昨今、親による子どもの虐待が大きく報道されています。
私はヨヨチューさんと同じく、虐待はあってはならないものと思っています。

でも、子育てをしている親御さんのしんどさも何となく分かるんですよね……(私自身は子育てをしていないのですが……)
現代は生きていくのにどうにも息苦しく、誰もが「役割」や「しなければならないこと」に縛られているような気がしてしまうのです。
それは、大人(親)であっても同じこと。

では、どうすれば子どもを虐待せずに済むのか?

それには、親自身が満ち足りていることが必要なのではないのかと私は思っています。
親が生きることを楽しめていれば、子どもに対して不満をぶつける事態は起きないのではないか?と。

また、親が満ち足りていると、子どもがキレて親に暴力を振るうこともなくなっていくのではないか?とも思っています。
生を楽しんでいる親の姿は、子どもにも伝わるものだと思うから。

ここでの「生を楽しむ」というのは、自分勝手に生きることではないとも思っています。
真に生きるのが楽しいと、周りに対して自然と「慈悲」「慈愛」の心を抱くため、「自分だけが楽しければいいと」いう気持ちにはなりません。

ここも詳しくは別記事に書こうと思います。

「親の姿を見て子どもが育つ」という点で、『ヴィオラ母さん』も面白かったです。

まとめ。虐待について、愛について知りたい方に読んでいただきたい本です。

ちなみに、『マルチエイジ・レボリューション』には、映像としての作品「多重人格 そして性」があります。
2019年現在、アテナ映像公式サイトから無料で視聴できます(18歳以上の方のみ)。

『マルチエイジ・レボリューション』を読んで、虐待がいかに大きな傷を子どもにもたらすか、愛がいかに人を温かく包み込むものか、深く考え込まされました。
しかし前述したように、絶望ばかりでなく希望も見えてくる本です。

虐待について、愛について知りたいと思っている方。
多重人格について知りたいと思っている方。
代々木忠さんが好きだという方。
この本が、多くの方の手に取っていただけたらと願っています。

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